小学生の国語力や思考力を鍛えるには作文が良い。全教科の成績が伸びます。


すべての教科の基本である国語。母国語ができないと学力の伸びに大きくブレーキをかけてしまうことは自明の理です。どうすれば国語力がつくのか考えてみましょう。

漢字くらいしかわかりやすく国語力を測るものがない

客観的に簡単に目に見えて実力を測るものが国語には漢字くらいしかありません。算数で言えば足し算ができるとか、九九ができるとか、速さと道のりの問題が解けるとか細かくこの単元が分かる、この単元が分からないというのがはっきりします。

一方、国語なり外国語には「話す聞く書く読む」の4技能が含まれていて、「これを解けるようにしないといけない!」というものが非常に見えにくいです。教える側にはあるのかもしれませんが学ぶ側には見えないしわかりません。

「この学年ならこの漢字は読み書きできないといけ」ないくらいしかテスト以外の簡単なものさしはないのではないでしょうか。もちろん話す内容やその子の語彙力を見ればある程度の国語力は大人からは推測できますけれど。

自分が国語ができるとか出来ないという自覚が芽生えるのはかなり後になるのではないでしょうか。

小学一年の段階で国語力ほど差がついている教科は他にない

幼児期に公文や英会話に通っているという話ではありません。生まれ育った家庭が国語の教室である!ということです。つまり両親の語彙力がそのまま子供の語彙力に直結するということです。

両親だけではなく祖父母に育てられたり、シングルマザー、シングルファザーであったり環境は様々ですが、全てその環境に応じて国語力・言語力が構成されます。

例えば私の経験では祖父母と同居で彼らが必要以上に甘やかした場合、子供の国語力が低い傾向にあります。共働きで日中祖父母との会話中心で育つと、こどもが分かるような言葉を選んで使ったり、言葉を発する前に先回りして要望を叶えてしまったりすることが多いので言語養成に悪影響を与えるようです。

言葉を発したり聞いたり、文字を読んだり書いたりすることで人はいかなるものも学びます。ですからこの4技能が低いと何を学ぶにおいても困難が生じることになります。

乳幼児期~幼稚園までの間は特に言葉を聞いたり話したりのトレーニングを意図せずともずっと家族から受けている状態になります。ですから親の学力によって子供の基礎である国語力がここである程度決まってしまいます。

だから国語を教えるのは全教科の中で一番難しいのかもしれません

それは育った家庭によって生徒の国語力がバラバラだからです。バラバラだからこそ江戸時代には素読というものがありました。

武士の師弟で漢文を学ぶ時内容は後回しにしてとにかく皆で先生の後にひたすら音読するという方法です。内容をやらないので年齢は関係ありません。こんな単純なやり方でどんな子でも古典を丸暗記してしまったといいます。

言葉の響きやリズムを体に叩き込むことで例え意味が分からなくとも言語に親しみをもつことができ、このスラスラ暗唱できるものの意味は一体なんなのだろうかと学習意欲も異常に上がります。

ずっと音読していれば授業中に寝ることもあくびすることもさぼることもできません。うるさすぎで寝ることなどそもそも不可能ですが。

国語教育と道徳をごちゃまぜにしている先生がいる

自分の思った通りのことを表現することは悪いことで道徳的に正しい答えを書かないといけないと勘違いしている子供が大勢いることを考えると、どうも国語と道徳を混在させて教えている教師がいることが考えられます。

ごんぎつねの主人公の心情をひたすら考えさせ正しい道徳感を誘導しようとする試みなどがあります。

自分の考えよりも「こうあるべきだ」を押し付けられる形となります。本来物語は読者の受け取り方一つで無数の捉え方があると思うのですが、テストなどでは長い物語の一部だけ抜き取り文章上答えが一つしかない状態を意図的に作り上げ正解とします。

そのようなテストの形式自体になんだかなあと思わないでもありません。

教養という面では小説は必要でしょうけれど生きていく上では説明文や評論文の読解の方がずっと大切だと個人的には思います。

もっと言えば社会生活を営むためのコミュニケーションスキル、つまり相手の主張を理解しこちらの主張も相手に伝えることができる能力が必要です。

そしてその周辺の趣味的要素として同じ本を読んだ感想を言い合えると生活が豊かになります。しかし道徳教育の弊害で同じ本を読んで同じ感想が生まれるならば感想を述べえ合うという行為自体が成立しなくなります。

ということで小説読解はより高度なスキルが求められ、小学校などの初等教育で必要な能力は他教科を理解する上でも欠かせない説明文的な文章を読んだり書けたりする能力だと私は思います。

それは中学生になってもたった2行や3行の数学の文章題の解き方ではなく、その意味を正しく理解できない生徒がたくさんいるからです。意識の高いご家庭では「そんなやつおらんやろ!」となるのですが、教育の現場ではそのような子たちで溢れかえっています。

国語は学校に頼らず家庭で鍛えるしかない。簡単で効果があるのが作文

家庭での会話で国語力が決定づけられると書きましたが、共働きが多い現代では十分なコミュニケーションをとる時間や余裕もないという親御さんも多いです。

1日30分いないという短い時間でできる作文に特化した通信教材があります。

「声に出して読みたい日本語」で有名な齋藤孝明治大学教授が監修している作文添削通信教材です。

国語だけでなく他教科を取り入れたり、日記、感想文、作文、新聞、紀行文、意見文など様々なパターンを用いて楽しく文章を書けるようになるしかけが多数あります。(小学校1年から6年生まで)

意味もわからず機械的に問題をとくような公文式に通わせる前に自分の頭でしっかり考えそれを文章にする能力を小学校の間に獲得することは生涯の宝となることでしょう。

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